| 第1回1996年6月15日(土) 記念講演 佐野俊之塾長 |
| 講演テーマ『信念と情熱の発露佐野式企画入門』 |
プランナーの仕事は、【何か】を売るための方法を考えていくことです。それは、商品、イメージ、あるいは地域であったりします。
◎そのなかでもっとも大切なものは自由な発想です。
これが、規制や制約で妨げられると良い企画は成功しません。
◎その次に大切なこと、それは目的を明確にすることです。
このことは何を目的で企画しているのか自分に問いかける意味があります。目的と手段という二つの側面がありますが、目的を見失って手段を追いかけてしまうことがあり、例えば、イベントを企画した場合、何のために行うのかを忘れ、イベントを開催することが目的となってしまっていることが多々見受けられます。
目的は一つ手段はたくさんあります。その目的とは何かを常に自分に問いかけていくことが必要です。
情報化社会について
情報化社会はソフト社会であると一般的に言われていますが、どういうことか簡単に言いますが、終戦直後、机はみかん箱、灰皿は空き缶という状況があったと思います。機能としては何ら変わらないわけですが、でもそれだけでは物足りなくなってきている。つまり二次的な要素を国民すべてが求めだしている。これは否定できない事実です。「空き缶じゃやだ!好きな色の付いた物・・・。」というように求めていく、
◎つまり機能とはかけ離れたもの、そこに価値があるということがソフト社会の基本だと思います。
ホテルを例にするとシャンプーは○○というブランド品であるというように、本来の機能とは違った価値観を消費者は求めているし、受けとめられている。
二次的なソフトの情報を他のメディアを上回るところで提供できれば観光地としてものすごい力が持てるはずです。
| 第2回1996年7月13日(土) 講師 池田満寿夫先生 |
| 島民塾始まっていらいの野外での講演、夏の暑い日差しが照りつけるなか、ビールを片手にバーベキューを囲んでの愉快なひととき。 平成9年3月8日、あまりにも突然に他界されてしまった池田先生を偲んでこのページを捧げたいと思います。 |
船の中で、バスの中で、暇さえあればビデオカメラを片手に撮影し続けていた池田さん。講義(語り合い)の内容で自身が手がけた映画のお話もしてくださいましたが、”俺はいつでも映画を創れる”そんなプロ意識を無性に感じました。
心よりご冥福をお祈りします。 合掌
| 1996年9月7日〜14日 ニューカレドニア研修視察 |
ニューカレドニアと言うと『天国に一番近い島』の綺麗なロングビーチ、透明度の良い海というイメージで来たのだが、初日の九日、ホテル前沖一キロくらいの所にある無人島まで行き、スノーケリングしたが期待はずれで、式根島の海と変わらなく、むしろ式根島の海のほうが綺麗なぐらいであった。
ところが、別な日に行ったイルデパン島、アメデ島、エスカペード島など期待以上の綺麗なビーチ、海、魚、手つかずの自然があり感動してしまった。
イルデパン島だが飛行機で渡り、人口は1450人の島で、飛行機の中から見ると、飛行場と道、そして家が数件しか見えないところで、主要道路は、簡易舗装されていたが、他は土の道が雨等により、ひどく凸凹になっていたり、きつい坂道があったり、車で走っていたら後ろのドアが開いたりと、スリル満点であった。
この島には、松によく似た杉が沢山ありニューカレドニアでは、この島を『松島』と呼んでいるそうである。
アメデ島は、周囲1キロと小さな無人島で、高さ53メートルのアメデ灯台がある。この灯台は、130年ぐらい前に、この付近で座礁する船舶が多かったため、パリでこの灯台が造られ四カ月かけてアメデ島まで運ばれて組み立てられたそうである。この島の砂浜は、珊瑚が細かくなってできていて、歩いていると10センチ前後の珊瑚が沢山あり素足だと痛かった。新島・式根島では、お客さんに怪我でもさせたらいけないと言って、そんな珊瑚は取り除いてしまうと思うのだが、ニューカレドニアの人達は、「自分のことは自分で守れ」が当たり前であり、歩いて痛ければビーサンでも靴でも履いて歩けばいいわけだ。
何かこの2つの島は、式根島の「式根松島」や「高森灯台」と共通する点があり、とても親近感がわく島であった。
今回の研修視察は、僕にとって初めての外国であり、英語もろくにできないのにフランス領の島へ行くのは、とても心配であった。しかし帰島して感じたことは、観光の規模等、新島・式根島とは比べものにならないのだが、ニューカレドニアの人達、ましてやホテルの従業員は、そこに来た人をどうやって楽しませ、良い思い出を作ってもらい、また来たいと思わせるように努力している。僕たちの泊まったホテルは、毎日がイベントを行っているようで、毎日が楽しく、スタッフの人達も「一緒にやろう」と僕たちを誘ってきて、思わずリンボーダンスまでやってしまったほどだ。
結局、一番大事なのは、コミュニケーションだと思うのだが、ホテルにいると外国人の人達やホテルの人達は、僕達日本人を見ると片言の日本語で「コンニチハ」とか「オハヨウゴザイマス」とか話しかけて来てくれる。
最後になりましたが、出発の時に村長から、「何か一つ持ち帰って下さい」という言葉がありましたが、一番印象に残り、式根島でもできそうなことが、式根島での魚の餌付けができたらと思います。
できるなら少し小さいが式根島のヘリポートの下の吹の江で、人の手が入っていない自然のままの海岸で遊歩道を通って行かないと行けない所を造りたいと思いました。
| 第3回1996年10月26日(土) 講師 江森陽弘先生 |
| 講演テーマ『江森流”自然”とのつきあい方』 |
変に意識しない、素直に通じ、素直に受け入れられる環境が、この式根島にあることを痛感しました。
この講演の前に温泉に入ってきました。そこで悪戯をしている子供達がいましたが、宿のおじさんが直ぐに叱ったのを見ました。皆さん、この島に住んでいらっしゃるので当たり前の事と感じるでしょうが、これが都会になると「無視」や「静観」で済まされてしまいます。今やこれが当たり前の時代となってしまっています。
ところが、この島では、ストレートに叱ることができるし、注意された子供達も『は〜い』と言って、素直に受けることができます。
これに関係して今日は、私はあるいじめの問題をお話ししたいと思います。94年11月、愛知県西尾市の中学2年大河内清輝君がいじめを苦に自殺しました。陰湿ないじめです。お金も取られました。その金額は1246千円です。僕は今でも取材を続けていますが、深く取材するにあたって様々なことがわかってきました。(中略)近所のおばさん達も殴られいじめられているのを見ています。おばさん達はまた喧嘩しているんだな、ぐらいしか思わない。そして、この事実を学校はおろか大河内君の両親にも話しませんでした。このおばさん達は、家の子じゃないからという、まったく無関係という立場をとりました。
ゲームセンターの経営者もそうです。大河内君を含んだ中学生グループが毎晩数万円を持ってきて使っているのを不思議に思ったでしょう、でも儲かるからかどうかはわかりませんが追求もしませんでした。このことを勿論、学校には言いませんでした。
もう一つ自転車屋さんがいます。
大河内君の自転車がぼろぼろにされ、月に6回も修理に持ってきたそうです。このおじさんはクラスの誰かが壊していると思ってはいましたが、これも学校には言いません。
要するに、関わりたくないという思いが社会現象として存在しています。遠巻き、遠巻きにという形でこの事件はどんどん深みにはまっていきました。
学校ではクラスの誰かが、『最近大河内君元気ないよ』とか、『廊下で取っ組み合いしているよ』というように先生に言ったんですが、先生は『ああ、あれはプロレスごっこだよ』で終わってしまいました。
また、皆さん消化器をマンションから落として子供が亡くなってしまった事件をご存じですか。これもやはり近所の人達は、よく遊んでいるのを知っていたそうです。
これも注意しなかったそうです。
あの温泉で見た大人が子供を叱る場面がこれらに存在したら、決してこんな事件は起きなかったはずです。こんな事で感動するほうがおかしいかもしれませんが、自然にできない、意識しなければできない環境が今日の状況です。
| 第4回1996年11月30日(土) 講師 赤井 裕先生 |
| 講演テーマ『私たちにとっての環境問題〜ミヤコタナゴと式根島〜』 |