私と島民塾は、これが3回目になります。
特に一番最初の式根島事前勉強会で初代塾長の秋山さんが、非常に真剣にしかも妥協のない世界経済について講義をなさっているのを聞いて、感銘を受けたのを覚えています。
”島”というものが、これから貴重なキーワードになっていきます。
これから10ヶ月間、若い塾生の皆さんと一緒にアイランズ・コンセプトについて考えていけたらと思います。
| 第1回1995年6月24日(土) 記念講演 中村かつろう塾長 |
| 講演テーマ『島と私たち〜アイランズ・コンセプトの世界〜』 |
地球というのは実は宇宙に浮いている一つの「島」なんです。「島」というのは非常に簡潔な環境
の循環の中で生きていて、生産・消費・分解の三つの要素からアイランズ・コンセプトは形成され、このバランスが保たれていないと「島」は美しい環境や生命を維持していけないのです。
これから21世紀に向かい宇宙の時代になって求められてくるのは、閉鎖循環系(アイランズ・コンセプトの違う呼び名として、閉鎖系システムやクローズドサーキットとも呼ばれる)のバランスが非常に重要視されてくると思われます。そこで、あらゆる物事を島という小さい世界で考えていくと様々な問題が明確に出て、その解決の糸口が見えてきます。例えば、離島における高齢化社会は都市部に比較して非常に進んだ最先端の社会といえます。その社会で老人の方々がどんな生活をしていて、キャリア・経験などがどの様な形で若い人達に伝えられているのかといった事が、これから必ずやって来る高齢化社会に対して都市部の人達に情報として伝わります。
島というのは21世紀には科学的・社会的な問題の先駆的なモデルになり、島の問題解決、もしくは島おこしをするという事はこれからの日本・世界がどの様な方向にいくのか、より早く見ていく事ができるパラメーターになります。私はこの島民塾の様な活動の場は非常に貴重な事だと思っております。その上で新島村が大好きな皆さんが、新島村を超えて島が好きだ・地球が好きだという皆さんになっていける様なお手伝いが出来ればなによりだと思っています。
| 第2回1995年7月24日(土) 石毛 健嗣先生(日本リサイクル協会代表理事) |
| 講演テーマ『生活者としての環境保全〜リサイクル運動を通して〜』 |
東京の下町で生まれ、終戦後の食料不足を経験した私は焼け野原の中から探した鉄くずを売り、お菓子を手にいれました。今思えば「リサイクル」をしていたんです。あの貧しい時代から現代まで経済大国として成長してきましたが、豊かさを求める過程で幾つかの問題点がありました。ものを大量に生産・販売・消費するという経済成長の大原則をすすめ、様々な公害を生み出してしまったのです。
1973年オイルショックの影響で市民にも不用品(中古品)を買うという姿が見られましたが、主催者の労力が大きく一時のブームで衰退してしまいました。そこで考えたのが、不用品の情報銀行で電話回線を使いデータバンクをつくりネットワーク化し、売り・買い・あげるといったことが十分出来るのではないかと行政や各消費者団体に話を持ちかけたのですが、当時の日本は危機管理という問題を蔑ろにし、投資できない体質があり断わられてしまいました。資源の節約や自然保全は国民運動として進めていく必要があり、自分の子供たちの世代には日本・世界はどうなっているのか?を考えると、現在の文明の考え方や経済成長を大幅に修正しなければならない時代がやってくるはずだと思い、リサイクル運動市民の会の運動を始めました。この会の運動を継続していく為には、我々の次の世代の人達に環境問題を伝えていかなければ会が高齢化していき衰退してしまうので、上に向かっていくのではなく下に向かって運動をすすめ組織の活性化をはかるようにしています。
私たちリサイクル運動市民の会では環境問題に対して、リサイクルという事で働きかけています。日本人は欧米人から見るとものを浪費しているとんでもない国民だと思われています。これは、厚生省が掲げているゴミの定義で見て取れます。ゴミの定義は、その品物を持っている人が、そのものを有償で売却出来なくなった為不用になったものをゴミとする(1987年に改正された)というもので、これは個人の判断で使えるものもゴミとなってしまいます。ドイツでは粗大ゴミに13ものチェック項目があり、リサイクルにまわしても使えないものとなってはじめてゴミというものになるという事です。日本は電話をすれば「リサイクルして」の一言もなく持っていってくれる。このような制度が変わらない限り日本のゴミの減少は望めないでしょう。リサイクルというのは、使い捨ての1wayから循環型の経済にすればいいと言うのは大きな誤りです。これはリサイクルを通して浪費と無駄の拡大をしてしまうだけで解決にはならないのです。消費者の生活が変わらない限り解決には向かわないでしょう。私たちリサイクル運動市民の会では、フリーマーケットというアメリカ型のガレージセールを国民に知らせたいため15年前から行っています。現在、市民の会で年間400回開催していて売り上げは40億円に達しています。フリーマーケットを知っていくと、国民はものを買うときに長く使えるものを選ぶ様になります。
フリーマーケットは課税対象にならずアメリカでは裏経済と呼ばれ、新品の経済に多大な影響を与えています。不用品に関する知識を持つ人が育てば各企業もそれに併行して変わらなければならない、つまりメーカーのつくっているものはその国の国民の質を表わしているといえます。
| 第3回1995年9月野崎島研修交流視察 |
| 長崎ハウステンボス・野崎島 |
| 第3回1995年10月21日(土) 森田 正光先生(お天気キャスター・気象予報士) |
| 講演テーマ『森田 正光の人生晴れたり曇ったり』 |
私の座右の銘は「明日は明日の天気予報」で、勝海舟の書いた本の中の登場人物、幕末の志士横井小楠の生き方から学んだもので、彼はいつでも熱っぽく倫理的に今こうするんだということを語り、最後には必ず「私は今こう思っているが、しかし、明日は違うことを考えているかもしれない」とつけ加えるそうです。つまり、世の中は常に変わっていくという事を一番よく知っている人物だったということです。情報に常に敏感であり続ける私の職業に当てはまると思われます。
私が現在に至ったのは、まず大学受験の時に失敗した場合を考えて、当時の先生に薦められたのが気象協会東海本部(名古屋)でした。大学は合格したのですが気象協会に就職しました。しかし、当時、全共闘運動等が流行っていて様々な組合運動に没頭していた為、東京に転勤させられてしまいました。名目は「名古屋でテレビの気象情報をする解説者を育てるため」とありましたが実際には左遷でした。
これが私の人生の大きな転機になったのです。
FM東京のラジオで気象情報を流している時にミスをして番組を降板させられ、次に担当したラジオ番組でも数々の失敗をしたのですが、視聴者にはその失敗が面白いと指示されお天気キャスターには異例のファンレターが届くという人気者になり、そして、最初のテレビ出演(テレビ東京)を見たTBSのプロデューサーに誘われたのが私とTBSの始まりだったのです。そこからは皆さんご存じの通り夕方のニュース番組に出演し現在に至るのです。
この様に私の人生は失敗から違う展開に発展し出世していきましたが、最大の失敗は気象予報士試験の失敗で、合格の記者会見になるはずが不合格の会見になり、当時テレビ局の方や回りの方はやめさせようとしましたが、私自身で会見をやることを決意し逃げなかった事と試験問題の批判などしなかった事に対してマスコミが好意的に報道してくれました。失敗したら愚痴らずに、ほとんどの事は取り返しがきくものです。そこでどんな態度をとるかがすごく重要な事です。
| 第4回1995年11月11日(土) 木原 光知子先生(元オリンピック選手・水泳指導員) |
| 講演テーマ『自己への挑戦〜心身の健康を鍛える〜』 |
小学校6年生の時「私の夢」という作文で「私は水泳でオリンピックに出たい」と書きました。しかし、進学した中学には水泳部もないし、プールもない。その時、担任だった先生から、「何もしないで、小学校の時の夢はこうだったと語れる人は沢山いるが、夢に向かってやってみようとする人は少しいる、そして夢に向かって一生懸命やる人はもっと少ない、夢を実現する人はほんの一握りの人だけだ。しかし、この一握りになるには、まずやってみなければ始まらないよ、アクション起こしてやる事だよ!!」と言われ、夢に向かって突き進んだ訳です。1964年の東京オリンピックに最年少で出場したのですが、そこまでには両親、大先輩、コーチ、監督等に恵まれた幸運もありました。人には必ず様々なところでチャンスが転がっています。それをものにするかは本人次第です。今の自分を見つめ直し一生懸命励めば新しい発見があり、自分が成長してこれからの人生が幸福におくれるでしょう、皆さんも夢に向かって生きて下さい。
| 第5回1996年1月20日(土) 石村隆太郎先生(日本興業銀行特別調査部参事・セレス計画常務理事) |
| 講演テーマ『自然への情熱〜海をもどす〜』 |
農業・林業・漁業という人間が生きていく上で最も大切な一次産業を見直して、新しい技術を導入し豊かに暮らしていける様な世の中にしていく為、そこにテーマを絞って技術をみていこうと思いました。日本の海岸線の総距離は世界6位にあたり、その58%はコンクリートで囲まれています。コンクリートが海における食物連鎖の底辺にあるプランクトンを減らし、小魚に必要な産卵域の減少を招いて漁業の衰退の一つの原因と思われます。そこでコンクリートに海草を生やす技術が開発されたのですが実現するには15年も要してしまったのです。
融資とは本当の技術と経営者の情熱をみなければなりませんが、本当にいい技術は資金難から世に出ないケースが多く埋もれてしまっている可能性があるので、セレス計画(閉鎖生態系生命維持システム計画・学会として認められている)の中に地球環境に対する新技術評価委員会をつくりました。ここで発表・評価されれば社会的に認められ融資する企業もでてきます。
現在、環境問題は全てのものに連鎖しているので一つのものを追い求めても答えは出ない。総合的に考えていかなければいけないのです。そこで、私は必ずやってくる高齢化社会に対して、退職したサラリーマンが社会の廃棄物にならない様にどれだけリサイクル出来るかに着目して、日本ロイスという会社をつくりました(諸事情により現在は携わっていませんが)。この会社は定年後から生きがいを持って働ける場所で、世界に向けて環境を考えていこうというものです。私が思うのは政府の負担を軽減し、もっと民間に頼って、民間が技術力をベースに次世代・環境・世のため人のために生きがいを主にした会社をつくっていかなければならないと思います。
| 第5回1996年3月23日(土) 島民塾 修了式 |
| 新島村長 出川 竹芳 |
塾生の皆さんおめでとうございます。
島民塾第3期生の修了生を送りだすことができ大変うれしく思っております。塾生の皆様には仕事を持ちながら10ヵ月間島民塾の主旨をよく理解されたうえ、一生懸命勉強に励んでいただき誠にご苦労様でした。中村塾長をはじめ本事業を側面から支援下さった(株)東京放送の皆様に心から御礼申し上げます。
日本全国で沖縄本島を除いた約420の離島に150万人の島民が住んでいますが、この人口もここ40年間に約半分に減少しています。若者の流出と併せた著しい人口減は全国離島の大きな社会問題となっております。当新島村においても350人、一年間に70人の割で減少しています。定住化を促進させるために様々な施策を実行していますが、離島という足枷がある限り、残念ながらなかなかその成果をみる事が出来ない状況にあります。私は遠回りで消極的手法ではあると思いますが、その解決策として現在住んでいる私たちが自分たちの暮らしを満足なものにして、なにも無理に都会の暮らしを真似するのではなく、島には島のいきいきした暮らし方があると納得し、島に住んでいて良かったと思う人が一人でも増えてくれることがなによりだと思います。時間はかかるかもしれませんがその輪を広げることによって、定住化対策の道が開けると思っております。塾生の皆さんがその担い手になって頂ければ新島村はきっと住み良くなります。村づくりにおいても財政難の折り多額の投資をしなくとも一人一人が知恵を出し合い、村の模様替えについて真剣に考えてもらえればもっと住み良くなると確信しております。その火付け役を皆さんに是非やって頂きたいと期待しております。
活性化にとって大切なことは、住民一人一人が年齢に相応した仕事・役割を分担する事だと思います。各自が年齢に相応した義務・責任を果たすことによって地域と活力と馬力が生まれます。この塾を修了される皆さんは決して遠慮されることなく、住み良い村をつくる為に積極的にご意見・ご提言をしていただくと同時に、自分の年齢にあった地域社会の役割を引き受けて頂きたいとお願い致します。皆さんの若い力で住み良い村をつくってください。10ヵ月間のご努力に対しあらためて敬意を表し、挨拶とさせて頂きます。